2009年12月15日(火)
やらないいいわけを後出しで!ネットで! [豆本製本]
最近、たびたび「豆本作りを教える機会は?」と御質問いただきました。ありがたし。しかし、私はこれまで一度もワークショップ的なことをした事がありませんで、多分今後もしないと思います。その場ではもにょもにょと口ごもってしまったのですが、思うところあって、以下に後出しの言い訳を!
まず、一に技術不足、二に人見知り、三四が無くて、五に面倒くさがり。まーどうやっても向いてません。
だいたい私が豆本を愛好する理由があるとしたら、その存在のささやかさ、密やかさにおいてこそであり、しばしば豆本の大きさの定義や製本の約束事を二の次にしてしまうことも。そんな自分が教える立場になるのは、不安だしちょっと危険です。
次に、豆本は「本」なので中味が肝心です。日々の一言を綴ったり、蒐集した切手を貼ったり、物語にしたり、詩を書いたり、旅の記録を書いたり、風景をスケッチしたり、誰かへの手紙でも良いでしょう。何でも良いんです! 何かを本の形にする、そのわくわく感こそが扉やの製作をすすめてくれる力であり、おそらく、製本作業そのものはそこまで悦びを感じる作業ではないわけです(これについての善悪は別として)。いや、素材選びとかは楽しいんですけど…。
もしも作りたいけどできるか不安だ、とか、細かい作業が嫌いだ、という場合は、市販の手帖サイズのノートやメモ帳などを(無印良品にプレーンなもの各種。カルトナージュ用品売り場にも。絵手紙用品売り場には折帖タイプが充実)シールやラッピングペーパーで装飾して「自分だけの一冊」を作っても良いんじゃないかな、と思います。
豆本は、ささやかな気持ちを閉じこめるのにちょうど良い大きさです。気軽に喜楽に。別に量産する必要なぞないんです。人に見せる必要も。あとからそっと見返して、なにか楽しい事を思い出したり「なんでこんなもん作った?」と不思議になったりするのが醍醐味ではないでしょうか。
ヘンゼルとグレーテルが道に迷わないようにちょっとずつ置いていったパン、あんな感じのものが私にとっての「豆本」ではないかと思います。パンじゃないから、小鳥に食べられなくて安心。(作品としての豆本は、もちろんこの限りではありませんが…)(と、いいわけのいいわけ)
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Posted by 西イズミ
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